旧・能登英輔の「のとのーと」

のとのーとの過去記事

惑。

40にして惑わず。

孔子が晩年に振り返って言ったことば。
論語・為政』に「子曰く、吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず(私は十五才で学問を志し、三十才で学問の基礎ができて自立でき、四十才になり迷うことがなくなった。五十才には天から与えられた使命を知り、六十才で人のことばに素直に耳を傾けることができるようになり、七十才で思うままに生きても人の道から外れるようなことはなくなった)」とあるのに基づく。

ということらしいのだけれども、自分のことで考えると惑ってばかりである。
自分は果たして大丈夫なのかと思ったけど、調べてみたら惑ってばかりの人が多くて安心した(笑)
周りを見て安心していること自体情けないことだけどね。
そもそも意味をしっかり調べてみた結果が↑の文章なんだけど、その例文が

例文:「四十にして惑わずというが、迷ってばかりの人生だ」

だもの(笑)

ただね、決して後ろ向きな迷いではなくて前進するためにどうしようって考えているんだから、それはそれでいいのかなとも思う。
40になってから色々チャレンジさせてもらってる。
youtubeの方もそうだし、舞台でもハードルの高い役に挑戦させてもらえたし。
ありがたいんですよ本当に。
チャレンジできるというのはありがたい。ただ、そこに満足せずに少しでも前に進むことが大切なんじゃないかな、と思っております。